片恋
会うことも触れることもできない相手に心を奪われたとき、人はどこまで本気で恋をしてしまうのか。
🚃 京浜電車で友人が急に語り出す
友人
この前さ、仕事でYに行ったら宴会に呼ばれてさ。そこで、めちゃくちゃ懐かしい人を見たんだよ
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👓
語り手
お、誰よ。その前振りはちょっと強いな
友人
昔よく行った店にいたお徳。あの、ちょいお茶目で勢いある子
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👓
語り手
え、お徳? だいぶ久しぶりじゃん
※人生、再会はだいたい思い出補正を連れてくる
友人
しかもさ、昔お徳にひとりで盛大に夢中だった志村を思い出して、ちょっと無常ってやつを感じた
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👓
語り手
ああ、あの甘いお酒すすめてた志村な。恋もペパーミント味の人
友人
そうそれ。で、こっちから声かけるの迷ってたら、お徳の方から来たんだよ
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👘
お徳
ひさしぶりねえ。あなた全然変わらないじゃない
※この時点でだいぶ酔っている。話が転がる準備は万全
友人
で、場が盛り上がってさ。つい志村の話を出したんだよ。『この人、うちの親友を恋で振り回した人です』って
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👘
お徳
いやいや、向こうが好きでも、こっちまで好きになる義務はないでしょ
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語り手
急に正論パンチ
👘
お徳
それにね、私だって昔、ちゃんと片思いしたことあるんだから
🍶 宴会の空気が少しだけしんみりする
友人
で、その相手が誰かと思うじゃん
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👓
語り手
まあ、役者とかそのへん?
友人
役者ではある。でも日本人じゃない。しかも本名も住所も何も知らない
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👓
語り手
情報、薄っっ
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お徳
だって幕の上で会うだけなんだもの
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語り手
幕の上? 舞台じゃなくて?
友人
そう。活動写真、今でいう映画の中の人だったんだよ
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※まさかの“推し”の元祖。しかも会える見込みゼロ
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お徳
毎週なんとかお金を作って見に行ったの。やっと会えると思っても、席が悪いと顔が横からつぶれて見えるのよ
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語り手
切なさの方向がだいぶ独特
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お徳
好きな人の顔がちゃんと見えないの、ほんと悲しいんだから
友人
そのへんは妙にわかる気もして、笑うに笑えなかった
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👘
お徳
細くて、ひげがあって、黒い服が似合う、すごくいい男だったの
友人
『俺に似てる?』って先に聞いたら、『もっといい男』だってさ
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※酔っていても評価は容赦ない
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お徳
生身の人なら、目で合図するとか、話しかけるとか、まだ何かできるでしょ。でも映画の人には何も届かないの
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お徳
好きになっても、好きにならせるきっかけすら作れないのよ。これ、なかなかつらいわよ
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語り手
それはもう片思いの難易度が高すぎる
🎬 数年後、別の土地の映画館
👘
お徳
もう会えないと思ってたのに、この土地に来て初めて映画を見た晩、その人がまた出たの
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お徳
石畳の道を、小さい犬を連れて、たばこ吸いながら歩いてきてね。全然変わってなかった
友人
十年ぶりの再会。相手は映像だから年も取らない。そこがまたきつい
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👘
お徳
それで木のそばで立ち止まって、こっち向いて帽子を取って笑うの。私に挨拶してるみたいで…
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語り手
わかる。わかるけど、重症でもある
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お徳
そしたら女の人が来て、その人に抱きつくのよ。説明では恋人なんですって
👘
お徳
もうね、帽子に派手な羽なんかつけてて、すごく腹立つの
※相手はフィルムの中なのに嫉妬は本気。恋は理屈を早退する
👘
お徳
最後はその人、みんなに取り押さえられてしまうの。青い夜みたいな場面で、泣きそうな顔してて…見てるだけで苦しかった
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お徳
で、急に終わるのよ。ぱっと消えて、白い幕だけ残るの
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お徳
みんな消えちゃうのね。まあ、そういうものなんでしょうけど
🚉 話しているうちに電車は新橋へ着く
友人
って話。作り話みたいだけど、あいつ妙に本気だったんだよな
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友人
もしかしたら映画の人じゃなくて、誰か別の相手を重ねてたのかもしれないけど
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👓
語り手
片思いって、届かない相手ほど言葉が増えるよな
- ▶届かない恋ほど心に残る
- ▶人は相手そのものより面影に恋をする
- ▶笑い話の顔をした切なさ
芥川竜之介『片恋』のあらすじ
電車の中で友人は、仕事先の宴会で昔なじみのお徳と再会した話を語り始める。場の流れで昔の恋の話になったお徳は、自分がかつて夢中になった相手を打ち明けるが、その相手は舞台の役者ではなく、活動写真に映る外国の俳優だった。名前も素性も知らず、ただ幕の上に現れる姿だけを追いかけた恋は、滑稽にも見える一方で、どうしようもない切なさを帯びている。友人はその告白を半ば笑いながらも、そこにある真剣さと、別の誰かへの思いの影を感じ取る。
『片恋』の作者について
芥川龍之介は大正期を代表する作家で、鋭い観察眼と知的な会話、皮肉と抒情の入り混じる短編で知られる。『羅生門』『鼻』『地獄変』などで古典や説話を現代的に読み替える一方、『片恋』のように都市生活の空気や人の心の微妙な揺れを軽妙に描いた作品も多い。この作品では、活動写真がまだ新しい娯楽だった時代を背景に、近代の恋愛感情と幻想のあり方が洒脱に切り取られている。
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