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機関車を見ながら

芥川竜之介

子どもの機関車ごっこから、人間が欲望と社会のレールの間で突き進まずにいられない姿が見えてくる。
🚂 土手の上、機関車通過待ち
うちの子たち、また機関車ごっこしてるな
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🧒
子供たち
しゅっしゅっ!しゅっしゅっ!
🧒
子供たち
見て!めっちゃ走ってるやつのマネ!
※止まってる電車ではなく、全力で走るほうを選ぶあたり、すでに人生観が出ている
子供が機関車にひかれるの、わかるんだよな
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あの勢いとか、強そう感とか、自分もああなりたい感じとか
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でもこれ、子供だけの話じゃない
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大人もみんな、別の機関車やってるだけなんだよな
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お金とか、名声とか、恋とか、そういうレールの上をさ
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自由に突っ走りたいのに、走るほどレールから外れられない
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※自由を求めてレールに乗る。だいぶややこしいが、かなり身に覚えがある
🌳 向こうの土手に、半分枯れた木が一本
今走ってる3271号、なんか時代のスターにも見えるな
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でもどんなレールにも、最後は使われないさびた先がある
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勢いのある人生でも、最後まで元気いっぱいとは限らないんだろうな
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しかもさ、みんな猛烈に走りたいくせに、ちゃんと線路の上なんだよ
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この矛盾が、人生のしんどさを作ってる気がする
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恋に突っ走る人も、野心で燃える人も、見方を変えればみんな機関車だ
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※本人は大真面目でも、横から見ると『なんでそんな全力で…』となるのが人生である
悲劇って、当人には切実だけど、他人から見るとちょっと喜劇っぽいこともあるし
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で、私自身も例外じゃない
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🔄 古い機関車が転車台でゆっくり向きを変える
あの古風な3236号、ちょっと自分っぽいんだよな…
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社会とか昔からの習慣って、たしかにブレーキにはなる
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でも同時に、こっちの中にはエンジンも石炭も火もあるんだよ
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人間って、単純な一人分じゃなくて、長い歴史といろんな部品の集合体みたいなものかも
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しかも自分がどこへ向かう線路に乗ってるのか、案外わかってない
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※運転席にいるのに路線図があやしい。かなり不安だが、わりと通常運転
トンネルも橋もあるだろうし、完全な解放なんてたぶん無理なんだろうな
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そもそも、どの運転手がどの機関車に乗るかも、自分では決めきれない部分があるし
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それでも機関車は、完全にさびるまで走るのをやめない
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そのしぶとさには、なんか妙な立派さがある
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💨 煙と火花が空へ上がる
結局、私たちの仕事って、煙とか火花みたいに『ここを走った』って残すことなのかも
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宗教家でも、芸術家でも、活動家でも、みんな自分の線路を進むしかない
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もっと速く、もっと先へってね
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山を越える機関車は『こんな山なんて!』って言ってそうだし
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下りの機関車は『高崎もうすぐ!』って歌ってそうだし
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※同じ機関車でも、上り坂と下り坂でテンションが違いすぎる。人間もだいたいそう
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子供たち
しゅっしゅっ!!まだ走る!!
うん、たぶんみんなそうやって走ってるんだよな
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  • 人は自由を求めながらレールの上を生きる
  • 他人の悲劇はときに喜劇に見える
  • それでも人は走るのをやめない

芥川竜之介『機関車を見ながら』のあらすじ

土手の上で子どもたちが機関車のまねをする様子を見ながら、語り手は人間そのものが機関車のような存在ではないかと考える。子どもが力強く走る機関車に憧れるように、大人もまた金や名誉、恋といった目に見えない線路の上を突進しているという。自由を求めながらも決められた軌道から逃れられない矛盾の中に、人生の悲劇と滑稽さが同時に生まれる。語り手は古い機関車に自分を重ねながら、人間は歴史や社会に動かされつつ、それでも最後まで走り続けるしかない存在だと見つめる。

機関車を見ながら』の作者について

芥川龍之介(1892-1927)は、大正から昭和初期にかけて活躍した小説家で、『羅生門』『鼻』『河童』などで知られる。鋭い知性と不安を抱えたまなざしで、人間心理や文明への疑問を短い作品に凝縮した。『機関車を見ながら』は晩年の随筆的作品で、日常の光景から人間の宿命や自由の限界を思索的に描いている。

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